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鉄道唱歌の碑鉄道唱歌(てつどうしょうか)は、明治時代に作詞された唱歌。 全5集、334番からなる。 第1集 東海道編第1番の歌詞である、「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり……」は広く知られている。 各集の歌い始めは以下のようになっており、いずれも旅立ちの印象を強く読者に与えるものとしていた。 (第1集1番) 汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として (第2集1番) 夏なお寒き布引の 滝のひびきをあとにして 神戸の里を立ちいずる 山陽線路の汽車の道 (第3集1番) 汽車は烟を噴き立てて 今ぞ上野を出でてゆく ゆくえは何く陸奥の 青森までも一飛に (第4集1番) 車輪のひびき笛の声 みかえる跡に消えて行く 上野の森の朝月夜 田端は露もまださむし (第5集1番) 汽車をたよりに思い立つ 伊勢や大和の国めぐり 網島いでて関西の 線路を旅の始にて 鉄道建設までの道 建設の気運
明治新政府は鉄道建設の廟議を行い、その鉄道敷設計画に基づき明治5年(1872年)、新橋(現在は廃止された汐留貨物駅)〜横浜(現:桜木町)間に、日本が初めて建設した鉄道が開業した。
2)兵部省(陸海軍省の前進)は通過地が軍事秘密地であることによる反対。 3)民間でも商売に不利とか、風俗を乱すとか、伝染病が流行するとかで反対。
技術資材はイギリスから導入。初代建設部師長に鉄道技師のエドモンド・モレル氏以下招へい指導。 枕木にはイギリスから鉄製のものを輸入する予定であったが、「森林資源の豊富な日本では木材を使った方が良い」というモレルの進言により、日本産の木製の枕木が使用されることになった。 横浜市の外人墓地内にある彼の墓所は、1962年に鉄道記念物に指定された。 <参考> モレル氏の報酬は月俸400円〜500円の破格待遇(当時日本人の普通官吏の月俸は20円〜30円、従業員は日給30銭程度。) 築地の尾張徳川邸を宿舎とした。
その翌日に旅客営業が開始されました。 乗車賃(新橋〜横浜)所要時間53分 上等 1円25銭5厘 中等 75銭 下等 37銭5厘 当時の米一升4銭 |